当たり前の行動が規制される「目が離せない」というつらさ

私は男性、つまり父親の立場ですが、2人の子どもをもったがために、女房だけでなく私も育児のキツさは理解していると思います。

夫か女房か、どちらかの実家に住んで、おじいちゃんやおばあちゃんの手を期待できる場合もあると思います。それはそれで、おそらく家族内での気の使い合いとか、精神的な苦労もきっとあるでしょう。

しかし実家から離れた地で暮らす核家族にも、物理的な苦労があります。それはやっぱり、あらゆる行動が規制されてしまうことです。このことは子どもが生まれる前にも、頭ではわかっているつもりでした。けど、実際子どもを授かってみて、そのキツさの意味が実感として理解できました。

私などは仕事から帰ったあとの時間しかつきあってやれないのでまだましですが、女房のほうは24時間ずっと子どものそばを離れることができないでいるわけです。トイレに行くにも、ひとりでお風呂に入ることさえ、「何かあったら」という心配が頭から離れないわけです。家の中でさえそんな状況ですから、外出ともなると、まるで外国にでも行くような緊張感と完璧な支度をともなうことになります。

そんな「目を離せない」というストレスが、2人目の子どもを授かると一気に倍増します。まだ乳児の間であれば、手の届くところに危ないものを置かないように気をつければ、チャイルドシートに乗せて外出している限りは多少気持ちが安らぎます。しかしそれもつかの間で、幼児になると悪知恵も行動力も育ってくるため、今度は何をしでかすか、ますます目を話せない日々が続くのです。

ある時など、長男が自分で車を降り、女房が彼を見ている間に、私が運転席から外に出ようと一瞬気をゆるめた瞬間、下の子が助手席から道路に頭から転落! これにはさすがに焦り、すぐ病院に走っていった次第です。さいわい外傷だけという診断で胸をなでおろしたのですが。

このように、2人の大人の目をもってしても、つねに意識が自由にならないもどかしさ、そしてそれが延々と毎日続く苦しさが、やはり育児のキツさでしょうね。

ただ、今まさに育児の真っ最中のご夫婦には、「その苦労は永遠に続くわけではないよ」と言ってあげたい。小学校も半ばを過ぎれば、少なくとも幼児の段階のような「目を離せない」というストレスからは解放されます。

もっとも、やれゲームばかりするなとか、別の意味での苦労も出てきますが・・・。

でも、話が通じるようになり、それなりに子どもにも人格らしきものを感じてくると、今までの苦労が一気に良い思い出にもなります。